悲劇

悲劇を用いられる神、1970年7月21日。その日は私(デュアン・ミラー牧師)の人生でもっともつらい一日となりました。カヌーで自然の景色を満喫し、楽しい思い出になるはずの一日は、深い悲しみに包まれた日となりました。カナダのアルゴンキン州立公園にあるオペオンゴ湖でカヌーが転覆し、友人3名が亡くなったのです。そのうち2名は十代でした。当時十代だった私も水中に投げ出されましたが、奇跡的に助かりました。その事故から十年後、私は再びアルゴンキン州立公園にいました。教会の若者たちのカヌーツアーの引率をしたのです、私は事故が起こった現場に生徒たちを連れていき、神の偉大な御力(みちから)について証しました。神は悲しい出来事を用いて人々の人生を変えることがおできになります。私もその恩恵を受けたひとりです。私は、友人を亡くした悲しみと自分だけが生き残ってしまった罪悪感に苦しんだことや、答えのない問いを神にぶつけたことを彼らに話しました。そして、そんな私の心を神が癒してくださった
ことも話しました。ツアーの最終日の夜、私たちはキャンプファイアーを囲んで楽しく過ごしていました。あるとき突然、にぎやかな笑い声や話し声がやみ、全員がしんと静まり返りました。私は、この旅の間に主がどのように働いてくださったか生徒たちに尋ねました。すると、ひとり、またひとりと、心の内を明かしてくれました。「今回参加して、神さまがどんなお方かわかるようになりました。そして、どれほど神さまに愛されているかもわかりました。」これは、イエスを救い主として受け入れた十代の少年の言葉です。女子生徒のひとりが、口を開きました。「神さまの前に出てしっかり祈って考えるために、今回のような時間が必要でした。個人的に今いろいろあって、ひとつずつちゃんと向き合わないといけないので。」また、ある男子生徒はこう言いました。「先生が話してくれた事故のことが頭から離れません。イエスさまに人生をゆだねることがどれだけ大事かやっとわかりました。僕は今まで何をしていたんだろう。もう逃げません。」それから二時間以上、夜更けまで分
かち合いは続きました。私はテントに戻る前に主の前に静まろうと水際まで歩いていきました。そして、黙ったまま湖面を眺めました。それは見たこともないような壮大な景色でした。雲ひとつない夜空には月も出ていません。水面が鏡のように凪ぎ、満天の星空を映しています。宇宙の片隅から目の前に広がる宇宙空間を眺めているような錯覚を覚えました。私はライフジャケットを付け、カヌーに乗り込み、湖上を漕ぎ出しました。カヌーに揺られて四方でまたたく星を見ていると、宇宙空間を漂っているように感じました。不思議な感覚に身を任せていると、神がともにおられるという全き安らぎを得ました。そして、この大自然を口から出る言葉だけでお造りになったお方が、私を深く愛しておられるという事実に圧倒されました。天地万物の中で地上のちりに過ぎない私を親しく知り、私の日常に関わってくださるのです。神は、私の罪のために御子イエスが死ぬことを良しとされました。それは、私が神との関係を取り戻す道を開くためです。それほどまでに、神は私を深く愛してくだ
さいました。私はただその真理を信じて、永遠のいのちという賜物(たまもの)を受け取ればよかったのです。あの夜見た壮大な景色も、天国の栄光や全能の神の御前にいるおごそかさには及びません。先に逝ってしまった3人の友、ドン、チャック、ティムは、そんなすばらしい永遠の中に今も生きています。そして同じ現実が、イエス・キリストを信じてこのお方に人生をゆだねた人を待っています。デイリーブレッドより!